競艇の吉川元浩選手とはどんな選手なのか?特徴なども交えて徹底紹介!

競艇選手の中でもめちゃくちゃな粘り強さを発揮されるのが、吉川元浩選手です。特徴的な経歴をお持ちの吉川選手ですが、どんな魅力があるのか?今回徹底的に調べてきたので、じっくりご紹介していきます。

競艇の吉川元浩選手のプロフィールをご紹介します!

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まずは、吉川元浩選手のプロフィールから見ていきましょう。

  • 生年月日:1972年9月7日
  • 身長:163cm
  • 体重:52kg
  • 血液型:O型
  • 支部:兵庫
  • 出身地:兵庫県
  • 級別:A1級

兵庫県出身のボートレーサーです。身長や体重から見ても、かなり小柄なレーサーであることがわかるでしょう。ボートレーサーの身長の上限が175cm。

平均的な体重が54kgとされているので、規定範囲内の体格です。吉川選手のボート歴には様々な困難がありましたが、今はA1級の級別に分けられる、トップクラスの選手となられています。

吉川元浩選手のご家族は?

吉川元浩選手には、奥様と2人のお子様がいらっしゃいます。お子様は2人とも男の子で、物心がついたころから、お父さんの背中を見て、奥様と一緒に声援を送られていたのだそうです。

家族の為にも負けられない想いが、吉川元浩選手にはあります。

吉川元浩選手にはどんな経歴があるのか?

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吉川元浩選手の経歴にはどんな特徴があるのでしょうか?ボートレーサーの中ではかなり特徴的な経歴なので、ご紹介していきます。

①異例のサラリーマンからの転身

吉川元浩選手はなんと22歳の時までサラリーマンをされていました。通常のボートレーサーは15歳ごろからボートレーサー養成所に入って、競艇のことを学びますが、吉川選手はなんと年齢制限ぎりぎりの22歳です。

どうして急に、ボートレーサーになろうと決められたのかというと、1995年に起こった、阪神淡路大震災がきっかけ。6,000人以上の死者を出した同地震の際には、多くの人が被災をし住むところや職場が無くなってしまったのです。

もちろん、吉川選手も被害を受け、当時働かれていた会社が自身で倒壊。当然、吉川選手も身も心も極限状態まで追い詰められます。その時に、会社の同僚の方から勧められたのが、競艇選手への道です。

その足でボートレーサー養成学校に入学し、10代の若い訓練生に混ざって、競艇選手の資格をゲットされます。しかも、10代の若い訓練生の中に入っても、見劣りすることなく努力と根性で課題をこなし、トップクラスの優秀な成績で学校を卒業されます。

さらに、1996年の尼崎競艇場での吉川選手のデビュー戦。なんと初舞台でいきなりの1着フィニッシュを決められます。

翌1997年には優出まで達成され、ここまではまさに順風満帆の2年間だったと言えるでしょう。

②10年挑んでもSG優勝が手に入らない

しかし、ここから先は途方もない苦難の連続です。2000年に尼崎競艇場で行われた「G1ダイヤモンドカップ競走」でめでたくG1レースの優勝を飾られます。

しかし本来ボートレーサーが目指さなければいけないのは、スーパーグレードと呼ばれる、SGの優勝です。

2001年に浜名湖競艇場で開催されたSG第28回笹川賞競走で、吉川選手は見事優勝戦まで駒を進められます。

しかし優勝戦では惜しくも5着で終わってしまうのです。ここからが、吉川選手にとっては苦難の6年間になります。なんと6年間でSGでは8回の優勝戦出場を果たされますが、1度もSGでの優勝が手に入りません。

あれだけ頑張って、掴んだチャンスなのに、あと一歩のところで優勝に手が届かない。非常に辛い思いをされたことが、容易に想像できます。この時に、吉川選手を支え続けたのが、ご家族の存在です。

奥様とお子様がいるから、吉川選手は歯を食いしばって頑張られます。そして、その想いは2007年に昇華することになるのです。

③11年頑張って、やっとSG優勝!

吉川選手がSGレースで初優勝されたのは2007年に福岡競艇場で開催された第22回賞金王決定戦。このSGレースで吉川選手は悲願のSG初優勝を達成されます。デビューから11年目のレースです。

しかし、苦難はまだまだ続きます。そこから10年間SGでの優勝には見舞われなかったのです。それでも、苦しかった11年の想いを胸に10年間頑張り続けられます。

④遅咲きで一気に変化が起こる!4度のSG優勝

SGでの2度目の優勝は2019年、戸田競艇場で開催された第54回総理大臣杯です。10年間頑張った結果が一気に開花し始めます。続いて福岡競艇場にて行われた第46回笹川賞でも優勝を飾り、なんとSG2連覇です。

競艇選手は1度でもSGで優勝することを目指してレースに挑んでいるため、吉川選手はここまでで3度も優勝されています。遅咲きレーサーですが、確実に技術力と熱いハートを持ったレーサーであることは、間違いないでしょう。

そして2020年に行われた第55回総理大臣杯でも優勝され、なんと2年間のうちにSGを3度も制覇される輝かしい実績を残されたのです。まさに、耐え忍んだ花が一気に咲き誇ったような、そんな印象を受けます。

吉川元浩選手の特徴や魅力を徹底紹介!

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吉川選手には、どんな特徴や魅力があるのか?簡単にまとめてみたので、ご紹介いたします。

①史上17人目の「全場制覇」を達成している

吉川選手は遅咲きの苦労人ですが、その経験があるためか分かりませんが、なんと史上17人目の「全場制覇」を達成されている選手なのです。安定した強さと、粘り強さ、テクニックが無ければこの偉業は成し遂げられません。

②どのコースからでも1位を狙える技術力

吉川選手はの凄いところ、魅力は「どの競艇場で、どのコースからでも1位を狙える技術力」にあります。これも、長年の経験に裏打ちされた技術だと言えるでしょう。

特にアウトコースの6コースからのスタートタイミングが、0.11と平均の0.15よりも早いため、6コースからの出走が得意なレーサーだという事がよく分かります。

吉川選手が6コースに入った時には、見逃さないようにしましょう。

③絶対に諦めないマインド

そして、吉川元浩選手、通称「ゲンコー」選手の最大の武器は絶対に諦めないマインドです。常に努力を怠らず、次のレースに備える姿勢は、まさにボートレーサーの鏡となる存在でしょう。

どんなに苦しくても、絶対に諦めない姿勢に、心を打たれるボートファンも多いかもしれません。

まさに11年間辛抱し続けたマインド、その後も10年間勝利から見放された辛さ。ボートレースの苦しみを一番理解している競艇選手と言っても、過言ではないかもしれません。

しかも、ボートを始めた1995年は未曽有の大災害阪神淡路大震災の年です。普通の人が到底考えられないほどの精神力で、この25年間を乗り越えられてきているに違いありません。

だからこそ、多くのボートファンに愛され、応援し続けられるのでしょう。

競艇の吉川元浩選手とはどんな選手なのか?

遅咲きの苦労人ボートレーサーである吉川元浩選手はどんな魅力が合って、どんな競艇選手なのか?ということを、具体的にまとめてきました。

何度も繰り返していますが、競艇選手でこんなに苦労をした選手はあまりいないのではないでしょうか?

壁にぶつかるたびに努力を重ね、壁を這いあがる。壁を登ったと思うと次の壁がやってきていく手を阻む。だからこそ、吉川選手の粘り強い魅力がそこに産まれたのでしょう。

今回の記事を読んで頂いて、吉川選手に少しでも興味を持たれたのであれば、是非とも競艇場に足を運んで、実際に応援してみられることをおすすめします。

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