東北の競艇選手は非常に珍しいですが、「桐生 順平選手」はその貴重なボートレーサーの一人です。今回の記事では桐生 順平選手とはどんな魅力や特徴がある選手なのか?について詳しく解説していきます。桐生選手は本当に凄い技術をもった若手のホープだったのです。 桐生 順平選手のプロフィールはどんな内容? 引用元 https://www.boatrace.jp/ 桐生 順平選手は福島県石川郡出身のボートレーサーで、生年月日は1986年10月7日となっています。血液型はAB型で、身長161㎝体重50kgと、競艇選手の中でもかなり小柄な選手だと言えるでしょう。体重のコントロールもしやすいところがポイントです。 桐生 順平選手の魅力や特徴を見てみる! 引用元 https://www.boatrace.jp/ 桐生 順平選手にはどんな特徴があるでしょうか?いくつか調べてきたので、ご紹介していきます。 ①驚異のハイスピードターン 桐生 順平選手の最も大きな特徴は「ハイスピードターン」です。他選手を圧倒するほどの高速ターンを武器に、数々のタイトルをゲットしているのです。このハイスピードターンは「神速ターン」や「鬼ターン」とも呼ばれていて、多くの選手から恐れられる武器となっています。 通常の選手で言うと、1コースからインを取って逃げ切るのが最も得意なレースになりますが、桐生選手は、1コースからだけでなく、3、4コース、あるいはもっと奥側の5、6コースからでも十分にトップを狙える技術を持っています。とにかく、ターンのスピードがえげつないほど素晴らしいです。 ②兄弟で競技選手 桐生 順平選手のお兄さんは「元競輪選手で、桐生 卓也」という選手です。桐生選手よりもふっくらした印象のお兄さんですが、目元や口元はそっくりで、見間違えてしまう程です。兄弟で、公営競技のスポーツ選手になれるぐらいなので、かなりスポーツ万能な一家に産まれられたのでしょう。 ちなみに、桐生選手の趣味はゴルフとのことで、競艇時以外にもスポーツを楽しまれる機会が多いようです。根っからのスポーツ好きな選手だと言えます。 ③奥さんのお兄さんも競輪選手 桐生選手の奥様は「佐藤 絵美さん」です。奥様とはボートレーサー育成学校のやまと訓練学校時代に知り合われた仲です。奥様のお兄さんもじつは「競輪選手」なのです。実のお兄さんも競輪選手で、義理のお兄さんも競輪選手ということになります。桐生選手自身がよっぽど公営競技と関係が深いのかもしれません。 奥様はやまと訓練所は中退され、プロの競艇選手にはなられていません。しかし、常に実のお兄さんやご主人の競技姿を見られていることから、競艇選手がどれだけハードな仕事なのか?をよく理解して下さる方だと思われます。ご自身でも経験があるため、その辺りの事情には精通されている事でしょう。 ④桐生 順平選手はイケメンランキングで6位になったことがある 桐生選手は、スッキリ系のイケメンボートレーサーです。爽やかさを感じさせる好青年で2012年に行われたボートレース振興会が行った女性を対象としたイケメン投票で、見事6位を獲得した実績があります。 この時はトータルで10万票が投票されていることから、競艇にハマる女子はかなり増えていることが分かります。今後も、桐生選手のようなイケメンボートレーサーが誕生してくることは、ファン獲得に向けて非常に大切なことになるでしょう。 桐生 順平選手の経歴はどうなっているのか? 引用元 https://www.tokyo-sports.co.jp/ 桐生 順平選手の過去の実績や、経歴はどうなっているのか?詳しく解説していきます。 ①競艇学校には3度目の正直で入学! 現在は賞金王も獲得し、順風満帆にレーサー生活をしているように見えますが、実際にはかなり苦労した苦労人であることも分かります。元々桐生選手の通っていた学校は「学校法人石川」という、福島県内でも指折りのスポーツの盛んな学校でした。 学校法人石川では、お兄さんの影響もあり、競技自転車部に入り活躍していました。スポーツが有名な学校だけあって、インターハイにも出場。なんと全国3位の好成績を収めています。ところが、桐生選手は、「インターハイで優勝できたら競輪選手になる」と決められていたそうで、競輪選手になる夢はここで諦められます。 しかし、お父さんやお兄さんの勧めがあり「ボートレーサー」に興味を持たれます。元々小さいころからスピードの出る乗り物が好きだった事もあり、競艇にハマっていくのです。高校卒業後はやまと訓練学校の試験を受けますが、なんと2回も不合格になってしまい、3度目の正直でようやく、やまと訓練学校の100期生として入学されます。 やまと学校時代は、競輪で培ってきた抜群の身体能力を活かし、トップの成績を維持したまま卒業、プロデビューを果たされています。最も大変なのが「減量」で、競輪選手なみの筋力を落としていくには、かなり苦労されたようです。 ②デビュー4日目で初勝利 そのまま2007年5月には戸田競艇場で行われた一般戦でデビューを果たされます。大会4日目の6レースで初めての勝利を収められます。 ③2008年には初優出 2008年には同じく戸田競艇場で行われたボートピア岡部カップ 開設7周年記念で初優出。 ④2011年にG1初出場、初勝利をゲット 2011年1月に宮島競艇場で開催されたGI共同通信社杯 新鋭王座決定戦では、G1に初出場し、いきなりG1初勝利を収められます。 ⑤同じく2011年にSG初出場、初勝利 同じ2011年には尼崎競艇場で開催されたSG第38回笹川賞で、SG戦初出場。大会4日目には初勝利も達成されます。 ⑥2014年にはG1初優勝! それから3年後の2014年9月には戸田競艇場で行われたG1第1回ヤングダービーで、見事G1初優勝を獲得です。ここまで順調に勝利を重ねられていると見て良いでしょう。 ⑦2015年にはSGまで制覇! 翌2015年には3月に尼崎競艇場で開催されたSG第50回ボートレースクラシックで見事、SG初優勝に輝かれるのです。新しいグレードのレースに出てから、優勝を勝ち取られるのがとにかく早いところに、桐生選手の凄さが現れています。 ⑧2015年にはフライングによる失格を経験 しかし、2015年には自身の犯したフライングで失格処分を受けてしまいます。4月に行われたG1開設63周年記念・海の王者決定戦の優勝戦での出来事でした。2016年1月29日まではG1、G2レースに出られなくなくなるという、きつい処分です。 ⑨2017年に年間賞金王に輝く! しかし、2017年には見事復活。1月には戸田競艇場で行われたG1戸田プリムローズのG1レースで優勝。3月には児島競艇場で行われたSG第52回ボートレースクラシックで、SG2回目の優勝を獲得。 見事、賞金総額が上位にランクインし、その年の年末に開催される「SG第32回賞金王決定戦」に出場が決定、その賞金王決定戦で見事優勝を獲得され、年間賞金王に輝かれています。 デビュー後は幾たびの試練がありましたが、階段をのびのびと駆け上がっていくようにスムーズに年間賞金王の座を射止められた辺りは、さすがの能力だと言えるのではないでしょうか?さらに桐生選手が凄いところは、2019年の勝率が「8.28」という驚異的な数字だということです。 8点台をたたき出すには、どのレースでも2位以内に入り続ける必要があります。それだけ、負けにくい強いレーサーでもあると言えるでしょう。 競艇の桐生 順平選手とはどんな魅力がある選手なのか?のまとめ というわけで、今回は東北出身の若きホープ、桐生 順平選手について、どんな選手でどんな魅力があるのか?について詳しく解説してきました。ターンの速さと技術力の高さで、「負けにくく強い選手」だとお分かりいただけたのではないでしょうか?今後、競艇を体験される際は、桐生選手に注目をしてみましょう。
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競艇の池田 浩二選手とはどんな選手なのか?特徴や魅力などを徹底紹介!
競艇の有名ベテランレーサーの一人に「池田 浩二選手」という方がいらっしゃいます。2020年の年間賞金王ランキングでも、19位に入る実力を持っている選手です。今回は、この池田 浩二選手とはどんな人なのか?どんな魅力があるのか?について、詳しく解説していきます。 池田 浩二選手のプロフィールとは?簡単にご紹介! 引用元 https://www.sponichi.co.jp/ 池田 浩二選手が産まれたのは愛知県です。1978年4月3日生まれで、血液型はO型です。身長は170㎝で体重は55kg、競艇選手の中では身長が高い方に属しているため、大会前はかなり絞り込んだ体にしていくのではないかと見られています。勝率も8.34と非常に高く、級別ももちろんA1に属している将来有望なモーターレーサーです。 池田 浩二選手の魅力を解説! 引用元 https://www.boatrace.jp/ 池田 浩二選手にはどんな魅力や特徴があるのでしょうか?いくつかご紹介いたします。 ①ウイリーターンが大きな武器! 池田 浩二選手の特徴としては「切れ味鋭いターン」があります。重心をボートの後ろ側に掛けて、ボートの先端を浮かし、水面との接点を極力減らして高速にターンする「ウイリーターン」です。 スタート時にウイリー気味で加速をする選手は多いですが、ターン時にウイリーでターンをする選手は珍しいため、池田選手特有の武器だと言えるでしょう。ウイリーターンを武器にどのコースからでも上位を狙える巧みな技を持った選手になります。 ②ゴルフが趣味でかなりの腕前 池田 浩二選手の趣味はゴルフです。とはいっても、池田選手自身が「ゴルフが趣味」と発言をしているわけではありません。「休みの日は何をされていますか?」という質問に対し「休みの日はゴルフをしています」と答えられただけで、趣味が完全にゴルフとは言われていないのです。 ただし、1日ラウンドして94というスコアを出されていて、100以下のスコアでラウンドできる人は中々の腕前なので、かなりゴルフは得意なのではないかと見られています。ボートレーサーを誘ってゴルフコンペを開催することもあり、根っからのゴルフ好きの様です。体を動かすことが趣味だと言えそうです。 ③獲得賞金の使い方で人間性が分かる 池田 浩二選手は、山口県周南市の「徳山競艇場」とゆかりがあります。徳山競艇場では優勝経験もあり、その際に頂いた声援が忘れられないとのことで、徳山競艇場がある周南市の児童養護施設「共楽養育園」に賞金の一部を寄付していたのです。 自身の賞金をそのまま寄付に回すなんて、かなり高い人間性を備えられているということが、よく分かります。クールな人柄ですが、熱いお金の使い方をされるナイスガイです。ただし、獲得賞金総額も多いため、獲得賞金の大部分は税金に取られてしまうとのコメントも残されています。話すと意外と面白い一面もあるのが池田選手の魅力になります。 池田 浩二選手の戦歴とは?主なタイトルもご紹介! 引用元 https://www.chunichi.co.jp/ 池田 浩二選手はどんな戦歴がある選手なのでしょうか?過去の経歴を紐解いていきます。 ①養成学校時代からなんと、ナンバーワンの実力! 池田 浩二選手が競艇選手を目指したきっかけは、叔父さんです。小さいころから競艇好きの叔父さんに競艇場に連れて行ってもらっていて、その時から将来は競艇選手になることを目標にされていました。高校は愛知県立知多高校に進まれますが、中退をし競艇選手になるため「やまとボートレーサー養成学校」に入られます。 養成学校時代から実力派突出していて、第81期選手卒業記念競走ではダントツの1位を記録されている、実力ある選手です。人柄がいいだけでなく、強さも兼ね備えられた競艇選手なのです。 ②1997年デビューで初勝利も経験! 池田 浩二選手は鳴り物入りで1997年にプロデビューを果たされます。デビュー戦は1997年11月に床波競艇場で行われた第19回 全国三地区対抗戦でした。さらに翌日11月20日には同じ大会の第1レースで見事初勝利を体験されます。 ③1999年には一般戦で初優勝! 1999年5月には住之江競艇場で開催された中日スポーツ杯争奪 第19回 チャンピオン大会にて、一般戦の初優勝を果たされています。 ④2000年にはG1で初勝利、初優出を経験! 2000年1月のびわ湖競艇場で開催されたG1第14回新鋭王座決定戦競走では、G1初勝利を収め、その大会でなんと、G1の決勝戦まで残っています。1997年のデビューからまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍を続けられている選手だと言えるでしょう。 2000年の5月には蒲郡競艇場でのSG 第27回笹川賞競走に出場され、この出走がSG初出走となっています。 ⑤2002年にはG1で初優勝! 2002年の7月には蒲郡競艇場で行われたG1オールジャパン竹島特別開設47周年記念競走で見事G1の初優勝を飾られました。 ⑥同じく2002年にSGで初勝利 同じ2002年の8月には蒲郡競艇場で開催のSG第48回モーターボート記念競走でSG戦初勝利を収められ、11月に平和島競艇場で行われたSG第49回全日本選手権競走で、SG初の優出を経験されています。池田選手にとって、2002年は大きな飛躍の年になっていると言えるかもしれません。 ⑦2003年にはSGで初優勝! 2003年の6月には丸亀競艇場で行われた、SG第13回グランドチャンピオン決定戦に参加され、見事SG初優勝の栄冠も手にされています。 そして、2005年12月にはG1競帝王決定戦 開設51周年記念競走で、通算500勝目。2011年11月には大村競艇場で行われたSG第14回 チャレンジカップ競走で通算1000勝。2018年6月には、下関競艇場で行われた下関 G1 開設64周年記念G1競帝王決定戦では、通算1500勝を達成されています。 ここ近年は、大きなタイトルでの優勝があまりありませんが、独自のウイリーターンで常に上位を狙い続ける、ハングリーなベテランレーサーだとお分かりいただけます。 上松一門のメンバーで、プロペラグループ「B-DASH」も加盟 池田 浩二選手の師匠は「上松久男」という元競艇選手です。残念なことに2015年の1月にお亡くなりになられていますが、池田選手の世代には、上松氏を師匠と慕う選手が沢山います。杉山正樹選手、平本真之選手、永井聖美選手などのトップレーサーたちです。上松氏の元に弟子入りした選手は、「上松一門」と呼ばれ、レーサーの間でも有名な選手ばかりになります。 上松一門の選手と多くが重なっているのが「B-DASH」というプロペラグループです。「B-DASH」に所属する選手たちは、上松一門の選手が多く、先程の杉山選手、平本選手、永井選手などもその一員となっています。 独自のプロペラを開発して、上位進出を目論む、意識高い集団になります。上松氏には、多くの選手が集まってきているため、かなり人間性の高い素晴らしい選手だったのではないでしょうか? また、池田選手にも弟子はいるようです。ハッキリとした情報は分かっていませんが、同じく愛知支部に所属する西村 豪洋選手は弟子の一人としてみて間違いないでしょう。その他にも、何人かの弟子がいるのではないかと見られています。 競艇の池田 浩二選手とはどんな選手なのか?特徴や魅力などを徹底紹介!のまとめ というわけで、今回は競艇の人気選手池田 浩二選手には、どんな魅力があってどんな特徴があるのか?などについて詳しく解説してきました。池田選手は、寄付を通じて子供たちに勇気や希望を与える活動をするなど、かなり人間性が高い人だということが分かりました。 得意のウイリーターンを武器に、今後も賞金王争いにどんどん絡んでくるであろう、優秀レーサーの一人になります。今後の活躍に期待していきましょう。
山口県のボートレーサー白井 英治選手とはどんな選手なのか?魅力を解説!
山口県出身のベテランボートレーサーに「白井 英治選手」というレーサーがいます。不屈の闘志で粘り強く勝ち続けているレーサーです。今回の記事では、白井 英治選手とはどんな特徴のある選手で、何が魅力なのか?という点について、詳しく解説していきます。 白井 英治選手のプロフィールをご紹介! 引用元 https://www.nishinippon.co.jp/ 白井 英治選手は山口県美祢市出身のボートレーサーです。1976年10月15日生まれのO型で、オートレーサーの中ではベテランの部類に入るでしょう。A1のトップクラスに属している実力の持ち主で、ここ近年の活躍が素晴らしいレーサーの一人になります。174㎝55kgの高身長のレーサーで、体重を規定内に収める為に、かなりの努力をしている苦労人でもあります。 白井 英治選手はどんな魅力がある選手なのか? 引用元 https://www.nikkansports.com/ 白井 英治選手にはどんな魅力があるのでしょうか?強い事はもちろんですが、性格がいい人格者の一面もあるようです。 ①とにかく性格がいい人間性がいい 白井 英治選手はとにかく「性格がいい」ことで知られています。SG戦で初優勝をした2014年の際のコメントも「一般戦で優勝したときと変わらない感じだった。 でも今村さんが走ってきてくれて本当に嬉しかった」と語ったり、 「その後もあまり実感はなかったけど、電報や花束などがたくさん届き多くの人に祝福していただいたことで実感が湧いてきた」というように、とにかくボートと真摯に向き合う真面目な性格をしているのです。 自分の勝利を味わうことよりも、「周りの人がいてくれるから、自分のボート人生があるのだ」というようなスタンスでボートレースを続けている、人間性の高さをうかがい知ることが出来ます。174㎝と、ボートレーサーでは高身長。そのため、制限体重内に収める為にレースの度に減量に苦労している選手でもあります。 普段から1日1食にし、レース当日は「必要最低限の栄養素しか摂らない」ことを徹底されていて、それでも「最低体重に近づけることは真摯にレースに向き合うための最低限の準備」と、謙虚な考えでレースに挑み続けているストイックなレーサーだとも言えるでしょう。 また、プライベートではプロデビュー2年後に幼馴染の女性を結婚して、5人のお子さんに恵まれるなど、真面目で家族思いの一面を持つ素敵な男性でもあります。ここでも性格の良さが現れているのです。 ②どのコースからでも上位を狙える巧さ 白井 英治選手の凄いところは、「どのコースからでも上位を狙える巧さ」です。師匠の今村豊選手も「実力的には何の問題もない」とコメントしているほど、とにかくコーナーでのハンドルさばきが巧い選手なのです。そのため、無理にインを狙うでもなく、3、4コース辺りから捲りで勝つことも出来る実力を持った選手になります。こういった選手がいると、競艇が非常に盛り上がります。 ③麻雀が得意?駆け引きの才能もある! 白井 英治選手の趣味は「麻雀」です。各界の著名人を集めた「麻雀トライアスロン雀豪決定戦」にも出場するほどの愛好家で、実力も兼ね備えています。麻雀をする際に重要になるのは「駆け引き」です。心理戦の面もある麻雀で鍛えられた思考能力が、競艇のレースでも生きているのかもしれません。 白井 英治選手の主な獲得タイトルは? 引用元 https://www.nishinippon.co.jp/ では、白井 英治選手は主にどんな大会で優勝しているのか?経歴を見ていきましょう。 ①5度の不合格を経てプロデビュー 白井 英治選手は小学校の頃からお父さんと競艇場に行き、将来は競艇選手になることを目標に掲げていました。小・中高校では、野球や空手を学び、地元の高校を卒業後は、アルバイトをしながら専門学校に通っています。 その後、競艇選手になるため本栖研修所の試験を受けますが、なんと5度も不合格を経験しているのです。普通の人であれば、何度も落ちると諦めたくなりますが、5度目までずっと試験を受け続けた精神力が素晴らしいです。(1度目は学科で不合格、2度目は過度な減量による血圧の低下で不合格、3度目4度目は、身長オーバーで不合格となっています) 5度目の正直で本栖研修所に合格すると、1997年に卒業、そのまま念願のボートレーサーになりました。 ②1997年にデビュー後初勝利! 1997年5月に下関競艇場でデビューを果たします。ここでは勝利が得られませんでしたが、6月に宮島競艇場で行われた一般戦で見事初勝利を飾ります。 ③1999年には初優勝! その2年後、蒲郡競艇場で開催された一般戦で、見事な初優勝を収めます。 ④2003年にG1初優勝! さらに、2001年には常滑競艇場で開催された第48回全日本選手権でSG初優出を果たしますが、結果は5着でした。2年後の2003年10月に平和島競艇場で行われた第49回トーキョー・ベイ・カップで見事G1初優勝を獲得されます。 ④2014年にSG初優勝! それから、白井選手は常に上位には食い込むけれど、優勝をなかなか経験できない「無冠の帝王」として、多くのレーサーから恐れられる存在になっていきます。努力の甲斐あって2012年には年間勝率8.32という驚異的な数字もたたき出しています。 それから2年後の2014年。8月に若松競艇場で行われた第60回モーターボート記念で見事念願のSG初優勝を飾ります。2コースからの捲りで勝利を収める辺りが、白井選手の技術力の高さを表しています。なんとここまでSGでの優出は14回。不屈の精神で諦めなかった白井選手の粘り勝ちだと言えるでしょう。 ⑤2018年にはSG2度目の優勝! さらに4年後の2018年8月、地元山口の徳山競艇場で64年ぶりに開催されたSG戦に出場します。第28回グランドチャンピオン決定戦では体重を51kgまで絞り込み、万全の状態でレースに臨むと、同じく山口支部の寺田祥選手を逃げで抑え、念願のSG戦2度目の優勝を飾りました。 ここまで白井選手が、どれだけ努力で勝ち上がってきているかがよく分かります。さらに近年の活躍は目覚ましく、賞金王ランキングにも上位に食い込んでいるのです。 ・2017年 5位 1億1072万2000円 ・2018年 3位 1億264万1000円 ・2019年 6位 1億1945万7000円 ・2020年 11位 9707万円 2020年こそ失速してしまいましたが、常に上位ランカーと争っていることがよくお分かりいただけると思います。 「無冠の帝王」と呼ばれながらも賞金王を虎視眈々と狙っている 白井選手自身からは、次の目標に当たってコメントはありません。しかし、ここまで上位ランカーになってくると、間違いなく次に狙っているのは年間の賞金王ではないでしょうか? 「無冠の帝王」と呼ばれ、努力や自己研鑽を行いつつ、日々真摯にボートレースを向き合ってきた白井選手だからこそ、是非とも年間賞金王に輝いてくれる日を期待したいと思います。無欲の勝利の積み重ねでここまで這い上がって来られた白井選手の将来に期待しましょう。 山口県のボートレーサー白井 英治選手とはどんな選手なのか?のまとめ というわけで、今回は山口県出身のベテランボートレーサー、白井 英治選手について詳しく解説してきました。無冠の帝王とも呼ばれ、中々タイトルとは絡まない活躍が続いていますが、技術的には非常にレベルが高く、レーサーの間では恐れられる存在です。 レースの際の駆け引きも非常に巧みで、見ている観客をワクワクさせるレーサーだとも言えるでしょう。 もしあなたが競艇に興味をお持ちのようであれば、是非とも白井 英治選手に注目してみましょう。今後の活躍が非常に楽しみな選手の一人です。
競艇の菊地 孝平選手とはどんな特徴や魅力のある選手なのか?
ここ数年でじわじわと人気を高めてきているのが、北海道出身の競艇選手「菊地 孝平選手」です。今回の記事では、菊地 孝平選手にはどんな特徴や魅力があるのか?などについて、詳しく解説していきます。非常に魅力的な選手で、おすすめの選手です。 菊地 孝平選手のプロフィールとは? 引用元 https://www.tokyo-sports.co.jp/ 菊地 孝平選手が産まれたのは1978年8月16日です。出身地は北海道になります。その後岩手県に移住し、現在は静岡県の浜松市に居を構える選手です。身長165㎝体重は53kgで、血液型はAB型です。金子良昭選手を師と仰ぎ、日々競艇選手生活に励んでいます。 菊地 孝平選手はどんな魅力がある選手なのか? 引用元 https://www.tokyo-sports.co.jp/ 菊地 孝平選手はここ近年、段々と人気が高まっている選手ですが、どんな魅力があるのでしょうか?いくつか見ていきましょう。 ①ずば抜けたスタートタイミング 菊地 孝平選手の魅力の一つに「ずば抜けたスタートタイミング」があります。0.10から0.15のスタートタイミングの速さはSGクラスの選手の中でもトップクラスのスタートタイミングになります。しかも、このスピードでスタートすることが当たり前になっているため、常にこのタイミングでスタートします。 また、これだけスタートを攻めるとスタート時の事故を引き起こしやすいですが、事故も少ないため、多くのファンから定評となっています。スタートタイミングが早いため、1コース以外からでも勝利を狙いやすいのが菊地選手の魅力です。 ②モーターの調整の上手さ 菊地 孝平選手はモーターの調整も上手いと言われています。菊地選手の若いころの夢は、飛行機の開発や設計などをする仕事です。そのため、物を作る技術は高く、モーターの調整も得意としています。シリーズの中でレースを重ねるたびに、しり上がりにモーターの調整も上げてくる特徴のある選手になります。 ③静岡(遠州)三羽ガラスとは? 菊地 孝平選手は「静岡(遠州)三羽ガラス」の一角だと言われています。静岡(遠州)三羽ガラスとは静岡支部82期生の、坪井康晴、横澤剛治、菊地孝平の3選手を指し、優れた実力を秘めた選手だと言えそうです。ファンの間では有名なトリオになっています。 菊地 孝平選手のこれまでの戦歴をご紹介! 引用元 https://www.tokyo-sports.co.jp/ では、菊地 孝平選手のこれまでの戦歴をご紹介していきます。ボートレーサーとしては、異例の経歴もあるので、見ていきましょう。 ①名門大学は辞退して競艇選手に! 菊地選手は、北海道に産まれ、その後岩手県に引っ越しています。岩手県では名門高校に通い、岩手大学進学を目指し、勉学に励んでいました。しかし、岩手大学受験と同時に競艇選手募集試験にも応募していて、この試験が合格してしまいました。岩手大学にも推薦合格の予定でしたが、大学進学を辞退し、本栖研修所に入所し競艇選手への道を歩み始めます。 どうして、競艇選手に応募していたのか?というと、実は菊地選手のお父さんは根っからの競艇ファンで、小さいころから菊地選手を競艇の選手にしたがっていただけです。菊地選手のインタビューからは「父の勧めで競艇選手になった」と記録が残っています。 名門の岩手大学だっただけに、ちょっともったいない気もします。非常に高い学力を持った、頭脳派ボートレーサーなのです。 ②1998年に念願のプロデビュー 本栖研修所では「82期七人衆」と呼ばれ、トップレベルの成績で研修所を卒業します。そして1998年5月に浜名湖競艇所で念願のプロデビューを果たします。大会2日目の5レースでは、6コースから捲りで初の勝利も飾っています。 ③デビューした1998年に早速優出! さらに、同年1998年の11月には平和島競艇場で行われた第43回日刊スポーツ旗艦捕獲レースで、初の優出も果たしました。かなりのペースで優出までたどり着いています。 ④2001年には悲願の初優勝 しかし、そこから菊地選手は勢いが落ちてしまい、初優勝を手にしたのは2001年の5月でした。びわ湖競艇場で開催された一般戦で、3コースからの捲りで見事な初優勝を飾ったのです。デビューから優勝まで、思いのほか時間がかかってしまっています。 ⑤2002年にはG1初出場初勝利! 2002年1月には、G1戦で初勝利を収めます。津競艇場で開催された第16回新鋭王座決定戦競走の大会4日目4レースで自身初のG1初勝利です。 同じく2002年1月の唐津競艇場で行われたG1開発中国周年記念全日本王者決定戦競走では、G1戦初優出を決めるも、決勝戦では残念ながら4着で終わります。 2002年4月には浜名湖競艇場で開催されたスピードカップで2度目の優勝をかざり、7月には詰競艇場での一般戦で3度目の優勝を手にします。この辺りから菊地選手は「A1」ランクに上がり、その地位を不動のものにしていくのです。 ⑥2004年にはG1で初優勝! 2004年7月には常滑競艇場で行われた、中日スポーツ金争奪G1マーメイドグランプリで優出。決勝戦では見事5コースからの捲り差しで悲願のG1初優勝を飾ります。1998年のデビューから6年目の悲願達成です。 ⑦2005年にはSGで初優勝! 2005年8月には若松競艇場で行われたSG第51回モーターボート記念でSG初の優出、さらに決勝戦では3コースからの捲りで一気のトップを飲み込み、念願のSG初優勝を手にしたのです。 ⑧2008年には年間で5つの優勝! 2008年には6月と7月の一般戦で優勝。7月には芦屋競艇場で行われたG1全日本王座決定戦開設56周年記念競走にてG1戦3度目の優勝を果たします。 さらに11月には浜名湖競艇場で開催された静岡県知事争奪戦G1で自身4度目のG1戦優勝を手に入れたのです。2008年の優勝回数は5回と、今までにない好成績を残せた年になっています。 ⑨2009年はSGで2度目の優勝を飾る! 2009年7月には若松競艇場で開催されたSG第14回オーシャンカップにて、SG戦2度目の優勝を手にします。9月に多摩川競艇場で行われたG1ウェイキーカップにて、優勝。11月に三国競艇場で行われたG1北陸艇王決戦でも優勝を手にしています。 その他、2009年には1月、2月、8月に4度の一般戦優勝を飾り、2009年だけで、SG戦1度、G1戦2度、一般戦4度の優勝を飾り、過去最高の成績となった1年でした。菊地選手の強みは、1コースでの逃げだけでなく、2コース、3コースからの捲り差しで勝てるところでしょう。 ⑩2014年にはSGで2度の優勝をゲット 2014年の5月には福岡競艇場で開催されたSG第41回ボートレースオールスター笹川賞で、3度目のSG戦優勝を手にします。続いて6月に浜名湖競艇場で開催されたSG第24回グランドチャンピオンで、4コースからの捲りで見事優勝をかざり、SG戦4度目の優勝を手に入れることになります。 ⑪2016年にはSG戦5度目の優勝! 2016年には開発前期周年記念競走G1トコタンキング決定戦にて優勝を獲得し、8月に桐生競艇場で行われた第62回ボートレースメモリアルでSG優勝をします。これでSG戦は通算5度目の優勝となり、菊地選手は、トップスター選手として人気を更に高めていったのです。 このように、幾度もSG戦で優勝し、どんなコースからもトップに食い込めるだけの実力を持っているのが、菊地 孝平選手になります。非常に知的なレーサーです。 競艇の菊地 孝平選手とはどんな特徴や魅力のある選手なのか?のまとめ というわけで、今回は北海道出身の頭脳派レーサー菊地 孝平選手について、詳しく解説してきました。どんなコースからでも上位争いに絡みやすいところは、まさに知的なレーサーだと言えるのではないでしょうか?今後の活躍が非常に楽しみな選手です。
競艇の生きるレジェンド「松井 繁選手」の魅力に迫る!
競艇界の生きるレジェンド、「絶対王者」としても超有名なのが松井 繁選手です。今回の記事では、松井 繁選手はどんな選手なのか?どんな魅力があるのか?について、詳しく解説していきます。 松井 繁選手のプロフィールとは? 引用元 https://www.nikkansports.com/ 松井 繁選手は1969年11月11日産まれの選手です。出身市は大阪府吹田市。身長は169㎝で体重は51kg競艇選手としてはベストな体格の持ち主でしょう。血液型はO型です。絶対王者という事で、もちろん級別はA1の選手となっています。 松井 繁選手の魅力を解説! 引用元 https://www.sponichi.co.jp/ 松井 繁選手の魅力をいくつか挙げてみたのでご紹介いたします。 ①生涯獲得賞金36億円越え 松井 繁選手がどうしてここまで有名なのか?というと、獲得している賞金総額です。なんと獲得賞金総額は前人未到の36億円。SG戦での12回の優勝記録も持っています。誰も手の届かない場所にいるレジェンドのような存在なのが、松井 繁選手なのです。 ちなみに、一般戦まで入れると100回以上の優勝経験があります。この、とんでもない強さから「絶対王者」と呼ばれているのです。 ②ベルルッティの革靴コレクションが趣味 松井選手は、高級革靴ブランドの「ベルルッティ」コレクターでもあります。1足100万円以上もするモデルもあり、レース場には必ず磨いて履いていっているほどに気に入っています。記念品としてコレクションしていて、レースの成績に応じて靴を履き替えたり、してゲン担ぎにも使っているコレクションになります。 ③インに入ると誰も止められない強さ 松井選手の得意分野は、「インコース」です。松井選手がインに入ると誰も止められない驚異的なパワーで他を置き去りにする強さがあります。特に1コースを得た時の強さでは誰も松井選手に敵わないでしょう。 さらに、アウトコースからでも上位に必ず絡んでくるのが、松井選手の凄いところです。6コースからでも上位3着に入ることもあります。インでは最強で、アウトでもテクニックで上位に食い込む実力を持っています。 ④トーク力も高い 松井 繁選手はトーク力も高いのが魅力です。大阪府出身のレーサーだけあって、話をすれば面白い話がテンポよく飛び出します。また、年齢も重ねられ円熟味が増してきているため、落ち着いた雰囲気もあるところが、トーク力を一層引き立ててくれています。 松井 繁選手の戦歴とは? 引用元 https://www.tokyo-sports.co.jp/ 松井 繁選手が「絶対王者」と呼ばれるようになるまでには、どんな過去があるのでしょうか?SG優勝全12戦も振り返ってみましょう。 ①学生時代はテニス部に所属 松井 繁選手は、中学高校時代テニス部に所属されていました。そこまで目立った活躍もなく、そのまま大学もしくは、専門学校に進学しようとされていたのです。ところが、お父さんの知人から「競艇選手養成所」の入所案内をもらい、それがきっかけで北陽高等学校卒業後に、本栖研修所に入所されたのです。 通常のボートレース選手は、小学校や中学校、高校時代にお父さんの勧めで競艇観戦に出掛け、そこで競艇の魅力に取りつかれ、そのまま競艇選手への道を志す方が多いですが、松井選手は、異例の経歴を持っていると言っていいでしょう。 ②1989年にデビュー 本栖研修所を1989年に卒業すると、プロデビューに至ります。研修所ではそこまで目立った選手ではありませんでしたが、研修期間の後半に努力を重ね期待の新人として、プロデビューします。初戦は住之江競艇場でした。デビューしてから半年でB1ランクに上がり、さらに翌年A2へとステップアップしていきます。 ③1992年にG1初優勝 松井選手のG1初優勝は、デビューからわずか3年後の1992年でした。戸田競艇場で行われた開設36周年記念 戸田グランプリにて、3コースからの捲り手で優勝を果たすのです。3コースからでも1着を取る辺りに、かなりの実力を感じ取ることが出来ます。 ④1995年には賞金王決定戦に初出場 それから3年、1995年には賞金王決定戦に初出場します。1995年2月に行われた近畿地区選手権で2度目のG1制覇、同じく4月に大村競艇場で行われた開設43周年記念 海の王者決定戦で3度目のG1制覇を果たし、見事賞金王決定戦に初出場したのです。この年から2004年までは10年連続で賞金王決定戦に出場し続けていました。 ⑤1996年 笹川賞で優勝 ここから、松井 繁選手の伝説が始まります。SG戦12回の優勝です。1996年5月、児島競艇場で行われた第23回笹川賞で見事優勝を果たします。この時は6コースからの出走でしたが、決まりて「恵まれ」で運もあり優勝に繋がりました。 ⑥1998年 オーシャンカップで優勝 1998年7月には三国競艇場で開催された第3回オーシャンカップで見事優勝を果たします。この時は、1コースでの出走で得意の逃げで完全優勝を果たしています。 ⑦1999年賞金王決定戦で優勝 1999年12月には住之江競艇場で行われた賞金王決定戦で優勝。この年の賞金王に輝きます。このレースでは2コースからの出走でしたが、差しで1着を勝ち取っています。 ⑧2001年 再び笹川賞で優勝 2001年5月にはまたしても笹川賞で優勝を果たします。浜名湖競艇場で開催された第28回笹川賞で5コースからの捲り差しで見事優勝。インコースでなくともきちんと1着を奪うあたりに、松井選手の凄さが伝わります。 ⑨2006年 オーシャンカップで優勝 2006年7月には若松競艇場で開催された、第11回オーシャンカップでも優勝を果たします。この時は、1枠1コースからの出走で2位以下を置き去りにした、見事な逃げの決まり手でした。 ⑩2006年 賞金王決定戦で優勝 2006年12月には再び賞金王決定戦で優勝。住之江競艇場で開催された第21回賞金王決定戦で1コースからの出走で見事1着を獲得しています。2006年も賞金王の座を獲得しているのです。 ⑪2008年 総理大臣杯で優勝 2008年3月には児島競艇場で開催された第43回総理大臣杯で優勝を果たし、SG戦優勝が7回に達します。この時も、1コースからの出走で決まり手は「逃げ」でした。 ⑫2008年 オーシャンカップで優勝 2008年7月には蒲郡競艇場で開催された第13回オーシャンカップで優勝。この時も1コースで逃げでの勝利でした。 ⑬2009年 全日本選手権 2009年10月には尼崎競艇場で開催された、第56回全日本選手権で優勝、ここでも決まり手は「逃げ」となっています。ここまでで、かなり1コースでの逃げ確率が高いです。 ⑭2009年 賞金王決定戦で優勝 その年、2009年も12月に賞金王決定戦に出場し見事優勝を果たします。第24回賞金王決定戦で10度目のSG優勝です。またしても住之江競艇場での優勝となりました。 ⑮2013年 オーシャンカップで優勝 2013年7月には若松競艇場で開催された第18回オーシャンカップで見事優勝。2009年から勝ちから遠ざかりましたが、見事復活を見せています。 ⑯2014年 ボートレースクラシックで優勝… Continue reading 競艇の生きるレジェンド「松井 繁選手」の魅力に迫る!
美人競艇選手の小野生奈選手の特徴を紹介!結婚はしているのか?
ボートレーサーは、レースで勝ち続けると数千万円から1億円以上の賞金を手にすることが出来ます。そんな夢の様な道を歩みだしたのが、福岡県出身の小野生奈選手です。 今回は小野生奈選手にはどんな魅力や特徴があるのか?結婚はしているのか?などについて、詳しく解説していきます。 小野生奈選手のプロフィールを簡単にご紹介 引用元:https://www.nishinippon.co.jp/ 小野生奈選手のプロフィールをまずは確認していきます。 生年月日:1988年10月2日 身長:155cm 体重:45kg 血液型:B型 支部:福岡 出身地:福岡県 級別:A1級 小野生奈選手の出身地は福岡県古賀市です。身長は155cmなので、かなり小柄な選手だと言えます。体重も45kgであれば、女子選手としてはベストウェイトになると思います。 福岡県の女性は気が強くてさばさばしていると言われますが、まさに小野生奈選手は自分の意見をハッキリという男前な女性というイメージなので、良く重なります。 小野生奈選手は独身? 小野生奈選手の結婚情報を調べてみましたが、どこにも記載が無いため恐らく間違いなく独身であるといえます。ただし、「2020年には絶対に結婚したい!」と公言されているようで、ひょっとすると電撃結婚を見せてくれるのかもしれません。 とはいえ、ここ数年彼氏がいるのかどうかも分からない、と言われていることから、もし彼氏がいるのであれば、ファンは本当に驚いてショックを受けてしまうでしょう。 結婚相手の条件として挙げているのが、「競艇選手でない一般の人」ということなので、競艇ファンにもチャンスがあるかもしれません。競艇選手と結婚すると、選手同士で価値観のずれを感じてしまう事が、嫌だと話しています。 小野生奈選手の経歴を簡単に見ていきます! 引用元:https://nikkan-spa.jp/ ここからは、小野生奈選手はどんな経歴の選手なのかを見ていきましょう。かなりの苦労人女の子です。 ①どうしてボートレーサーを目指したのか? 小野生奈選手がボートレーサーを目指したきっかけは、お父さんにあります。小野生奈選手が中学生の時、お父さんと芦屋競艇場にレースを観に行ったことが始まりだそう。 丁度その時レースに出場していた日高逸子選手の走りを見て、「男子にもこうやって勝てたら気分がいいだろな」という理由からボートレーサーを目指すようになったのです。 小野選手は中学高校と、ソフトボール部に在籍し、スポーツ女子として汗を流していました。特に高校は「東海大学付属第五高等学校」というスポーツの名門校で、サッカー部は全国大会に出場するほどの高校だったのです。 そんなスポーツ高校を卒業した後は、やまと競艇学校に103期生として入学します。 ここからが小野選手の試練の始まり。やまと競艇学校ではかなり低成績だったようで、卒業まで勝率3点台と大苦戦。しかし、最後のリーグ戦で2着をとり、何とか卒業までこぎつけた苦労人です。 ②デビュー戦から勝てない日々が続く こうして無事にデビューを迎える小野生奈選手ですが、これでもまだ試練は終わりません。デビュー戦は2008年11月芦屋競艇場です。華々しくデビューしたものの、そこから中々勝利に結びつけられません。 やっとの思いで勝利を挙げたのは2010年5月に芦屋競艇場で行われたレースです。なんとデビュー戦から1年半以上が経過したレースで、ようやく勝利を手に入れます。 こうしてみてみると、やまと競艇学校時代からずっと苦労の連続です。しかし、その苦労にもめげずにひたすら耐え続けた小野選手は、着実に実力を蓄えていたと言えるでしょう。 ③2013年には初優勝を経験! 2011年には、住之江競艇場で開催された男女ダブル優勝戦第6回森下仁丹杯で初の優勝戦に出場することが出来ました。 その後、2013年に蒲郡競艇場で開催された、男女ダブル優勝シリーズ 2013ファイナルカップの女子の部で初優勝を飾ったのです。 2010年までは、かなり我慢の時でしたが、その我慢の時が終わると、一気に才能を開花させたかのような、順風満帆のボートレーサー生活が幕を開けています。苦労しただけ、開花した時の成長スピードが異常なほど速い選手だといえます。 ④2018年には念願の賞金女王に輝く! 2017年に入ると、地元の芦屋競艇場で行われたGI第31回女子王座決定戦でG1初優勝を上げられました。 さらに女子選手としては1996年以来となるSG3連勝を、第44回笹川賞の2日目3日目の挙げられたのです。そして笹川賞・オーシャンカップではSG準優出を2回も達成されています。 そのおかげで、小野生奈選手は2018年には念願の賞金女王に輝いています。 ここまでの経歴を見てきても、苦労した分だけ加速度的に成長されていることがよく分かるでしょう。 小野生奈選手はどんなところが魅力なのか?徹底解説! 引用元:https://www.nishinippon.co.jp/ 小野生奈選手にはどんな魅力があるのでしょうか?徹底的に特徴などを解説していきます。 ①見た目の可愛さと着実にレベルアップしてきたボートの腕前 小野生奈選手の魅力の1つ目はやっぱり何と言っても「見た目の可愛さ」でしょう。小柄な小野生奈選手は思わず抱きしめてしまいたくなるほどの、キュートさがあります。そして、前述した通りの苦労人ぶり。 そのため、一気に才能が開花した後の小野選手の成長ぶりは、誰にも止めることが出来ないほどになっています。かわいいだけじゃなくて、ボートレーサーとして結果をきちんと残される辺りが、素晴らしいところでしょう。 ②3、4、5コースからの出走に強みがある 小野生奈選手は1コースがあまり得意ではないと仰っています。通常競艇では、インコースほど有利だとされているので、ちょっと意外ですが実は小野生奈選手はあまりスタートが得意ではなく、3、4、5コースから捲っていく方が実力が発揮できるのです。 舟券を買う時はよく注意して選びましょう。 ③6着をほぼ取らない安定した強さ 小野生奈選手の生涯獲得賞金額は現状で2億2千万円を超えています。ここまで稼げているのは、彼女が「ほとんど6着を取らないから」だと言われています。… Continue reading 美人競艇選手の小野生奈選手の特徴を紹介!結婚はしているのか?
美人ボートレーサー平山智加選手の魅力や凄さについて解説していきます!
競艇の女子選手には多くの美人レーサーがいます。その中でも今回注目したいのは「平山智加選手」です。 本当に美しいレーサーで、多くの男性ボートファンを魅力する平山智加選手には、様々な魅力や特徴があります。今回の記事で、平山智加選手の魅力を徹底解説していきます! 平山智加選手のプロフィールを簡単にご紹介します! 引用元:https://www.nikkansports.com/ 平山智加選手とは、どんなプロフィールの選手なのでしょうか?簡単にまとめてみました。 生年月日:1985年7月13日 身長:156cm 体重:45kg 血液型:O型 支部:香川 出身地:香川県 級別:A1級 平山智加選手は四国香川県出身の美人ボートレーサーです。身長は156cmと比較的小柄で、体重も45kgと女子選手の平均的なウェイトとなっています。 香川県の女性は自立心が強く、堅実的だと言われていますが、確かに自己の主張をハッキリとされる面は、近い物があるかもしれません。 女性レーサーの中でもA1級に入られていて、美しさと実力を兼ね備えた優秀な選手だと言えるでしょう。 平山智加選手にはどんなご家族がいるのか? 平山智加選手には16歳年上のご主人と2人のお子様がいらっしゃいます。ご主人は同じく競艇選手の福田雅一選手で、お子様は上が男の子、下の子が女の子というご家族構成です。 同じ競艇選手同士なので、悩みも共有でき、理想的なご家族だと言えそうです。 平山智加選手の経歴をご紹介! 引用元:https://www.boatrace.jp/ 平山智加選手の過去の経歴を簡単にご紹介していきましょう。経歴を見る限り、本当に見た目の美しさだけではない強さをお持ちの美人レーサーなのだという事がよく分かります。 ①やまと競艇学校では好成績でプロデビュー! 平山智加選手は香川県にある香川県明善高等学校(現 英明高等学校)をご卒業されています。高校時代にはバスケットボール部でプレイをされ、何と3年間で3度の全国大会出場がある、強豪校の一員でした。 その後高校三年生の時に、就職活動で悩まれていた時、競艇好きのお父さんから、ボートレーサーになることを打診され、第98期選手養成訓練生としてやまと競艇学校に入校されます。 やまと競艇学校では、リーグ戦勝率6.42(優出4回)の好成績を残され、最後の卒業記念競走優勝戦において、2着の優秀な成績を残された選手です。2006年の3月に無事やまと競艇学校を卒業され、2006年の5月にはプロデビュー戦を果たされています。 さらに、5月21日の試合で早くも初勝利を手にされ、この時点から平山智加選手の実力の片りんを見ることが出来るでしょう。 ②2008年で初優勝を獲得! 2007年11月の宮島競艇場の女子リーグ戦競走では早くも初優出。さらに2008年2月には丸亀競艇場で行われた、四国地区選手権競走第1レースでG1初勝利をゲット。 2008年5月には、続けざまに丸亀競艇場で行われた一般戦で、見事初優勝を飾ります。 まさに、やまと競艇学校時代からの勢いをそのまま維持され、プロに入ってからもガンガンに好成績を連発している選手だと言えるでしょう。 ③2010年には最優秀新人賞を受賞! その後も平山智加選手の勢いは止まりません。その年2008年9月に住之江競艇場で行われたG3女子リーグ第8戦で優勝(準パーフェクト優勝)を果たされ、2009年2月に児島競艇場で行われた一般のオール女子戦でも優勝されています。 ここまでの好成績を立て続けに収められた、平山智加選手は2010年には平成21年度の最優秀新人に、女子選手としては初めて選ばれたのです。 ここでも、ただの美人なだけのレーサーではないことがよくお分かりいただけるでしょう。 ④2013年には賞金女王に輝く! さらに2010年4月、丸亀競艇場で行われたG3女子リーグ第2戦で11連勝での完全優勝を記録されます。パーフェクト優勝は初めてで、6度目の優勝で達成されたことになります。 その後、2011年5月尼崎競艇場にて開催された笹川賞競走では、SGレース初勝利を収められたのです。その翌々年、2013年1月には尼崎競艇場で行われた近松賞・開設60周年記念競走で初めてのG1タイトルを獲得。 そのままの勢いで2013年12月芦屋競艇場にて行われた第2回賞金女王決定戦にて初のPG1制覇をされ、見事2013年の賞金女王に輝かれたのです。 本当に、順風満帆としか言えない好成績の連続です。賞金女王への階段を一歩一歩駆け上がりながら、上り詰められた印象すら受けてしまいます。ここで完全に平山智加選手の凄さがお分かりいただけたのではないでしょうか? ⑤プライベートでは2017年と2018年にお子様を出産! ここから数年後、平山智加選手はご結婚を果たされ、2人のお子さまをご出産されます。2017年1月戸田競艇場で行われた戸田プリムローズ開設60周年記念を最後に、産休に入られ無事に男の子を出産。 2018年3月のレースから復帰され、同年4月下関競艇場で開催されたオール女子戦では、復帰後すぐに優勝を果たされます。 しかし、2018年の12月から再び産休に入られ、今度は女の子を出産されているのです。2019年からは2児のママボートレーサーとして2021年現在も活躍されています。 平山智加選手の特徴や魅力をズバリ解説! 引用元:https://www.tokyo-sports.co.jp/ 平山智加選手にはどんな特徴や魅力があるのでしょうか?徹底解説していきます。 ①美人と言うだけでなく圧倒的な強さを持っている 平山智加選手の最大の魅力は、見た目の美しさです。ただ、美しいだけではありません。 前述した通り、様々なレースで優勝を果たし、2013年には賞金女王に輝くなど、他を寄せ付けない圧倒的な強さを持っているのも魅力になるでしょう。 平山選手の美貌に惹かれるにわかファンだけではなく、コアな競艇ファンをも虜にしてしまうところが、平山智加選手の凄いところになります。 ②インコースでの強さ 平山智加選手はとにかくインコースに強い特徴があります。競艇というのは、基本的にインコースの方が有利だとはされていますが、その中でも平山選手はインコースに強いのです。… Continue reading 美人ボートレーサー平山智加選手の魅力や凄さについて解説していきます!
【美人競艇選手】守屋美穂選手にはどんな魅力や特徴があるのか?徹底解説!
あなたは美人競艇選手の守屋美穂選手をご存知でしょうか?女子レーサーの中では、かなりの強さを誇る競艇選手です。今回はこの守屋美穂選手にはどんな特徴や魅力があるのか?について、詳しく解説していきます。 面白いプロフィールもあるので、この記事を読んで守屋美穂選手のファンになってしまいましょう。 守屋美穂選手のプロフィールを紹介! https://www.boatrace.jp/ 美人で大人気の守屋美穂選手のプロフィールを簡単にまとめてみました。 生年月日:1989年1月20日 身長:154cm 体重:44kg 血液型:B型 級別:A1級 守屋美穂選手は154cmの小柄で小さい美人競艇選手です。身長も154cmとかなり小さめなことが分かるでしょう。 競艇選手の身長制限は175cmなので、身長があまり高くなくても問題ないのです。一方で重要なのは、体重。女子の場合は42kg以上50kg未満でなければいけません。 守屋美穂選手は小柄なので体重不足が心配ですが、44kgということで制限体重以内。ここでウエイトが足らなければ、太るためのトレーニングも必要になるので、注意が必要です。 守屋美穂選手の家族は? 守屋美穂選手は2021年現在、独身です。ただしお子様はいらっしゃいます。そう、守屋美穂選手はバツイチなのです!以前守屋美穂選手と結婚されていたのは、あの、「山口達也選手」です。 Tの付くアイドルメンバーではない、競艇選手の「山口達也選手」になります。 山口達也選手とは2013年にご結婚されましたが、恐らく2018年から2020年の間のどこかで離婚をされたようです。 常に「いつ離婚するの?」という噂のあった夫婦なので、半信半疑の人もいたようですが、2020年の5月に放送された、YouTubeLiveで真相を守屋美穂選手自身が語られています。 その翌日には、元ご主人の山口達也選手も動画を上げられ、正式に守屋美穂選手はシングルマザーになられたことが判明しています。守屋美穂に戻られた後は、独身時代同様に積極果敢にボートレースの活動に取り組まれています。 守屋美穂選手の経歴を詳しく紹介していきます。 https://www.boatrace.jp/ 守屋美穂選手には様々な面白い経歴があります。今回調査した中で確定したことを一挙公開していきます! ①高校時代は重量挙げの選手 守屋美穂選手の高校時代していた部活はなんと、重量挙げです。岡山県倉敷市にある、岡山県立倉敷商業高等学校のウエイトリフティング部に所属し、重量挙げの選手として活躍していたのです。 さらには高校3年生の時の、2006年 第8回全国高等学校女子ウエイトリフティング競技選手権大会(48kg級)で、見事優勝を果たされています。 しかも、どうしてウエイトリフティング部に入られたのか?それは「ボートレーサーになるには、筋力は必要だろうから、重量挙げをして鍛えよう!」という理由です。 確かに理にかなった考え方ですが、ちょっと普通の人とはイメージすることの次元が違うようにも感じられます。 ②なぜだかボートレーサーの道へ そもそも、守屋美穂選手はどうしてボートレーサーへの道を歩み始められているのか?それはお父さんの影響がありました。 お父さんに連れられて何度か足を運んだ競艇場。その時に偶然にもペアボート試乗会が行われていて、そこで初めてプロのボートに乗せてもらったことが、ボートレーサーを目指されるきっかけだったのです。 その後、自身の筋力のなさを補完するために重量挙げをし、難関と言われるボートレーサー養成所に2回で合格をされ、プロのボートレーサーになられました。 負けず嫌いで、目標を立てたらそこに向かって突っ走る、守屋選手の性格が現れている経歴です。 ③優勝回数7回の凄腕女性レーサー 守屋美穂選手はデビューされて2020年で13年経っていますが、その間の優勝回数はなんと7回。賞金獲得総額も2億2千万円と、相当な実績を残されている凄腕女性レーサーなのです。 重量挙げで培われた筋力と、努力を惜しまない性格で、毎年毎年実績を積み重ね続けています。今後も間違いなく活躍していく選手の一人でしょう。 ④A級レーサーを安定して維持 守屋美穂選手はデビューから3年目の時点で既に、A級のレーサーに昇格しています。 そして、2013年にはA1まで上り詰め、その後もA2降格はあったものの、2021年現在はA1に再び返り咲き、今期も優勝を目指して走り続けています。 守屋美穂選手の魅力や特徴とは? 引用元:https://www.nikkansports.com/ 守屋美穂選手にはどんな魅力や特徴があるのでしょうか?具体的にまとめてみました。 ①抜群のルックスと怪力 守屋美穂選手の最大の魅力は、やはり見た目の美しさでしょう。アイドルグループにいてもおかしく無さそうなほどのルックスを誇り、男性ファンをメロメロにしています。 さらに、高校時代に培った怪力は、ボートのコントロールをするのに間違いなくプラスに働いていると言えます。 デビュー当時から「艇界の怪力美人レーサー」と異名を付けられ、多くのファンから注目されているレーサーなのです。今では、イーグルプリンセスと呼ばれ、まるで獲物を狙う鷲の様な、力強いオーラが魅力です。 ②1コースでの強さ 守屋美穂選手は異常に1コースが強いことで知られています。1コースでの勝率は68・3%で、かなりの成績です。なので守屋選手に賭けるのであれば、大穴狙いのアウトコース出走時がおすすめ。 とはいえ、どのコースからでも勝利を狙える技術力があることも確かで、今後どこまで活躍してくれるのかが見ものです。 ③オフの時も人気が高いのが守屋美穂選手 守屋美穂選手はオフの時も人気が高い選手です。その美しさから、イベント時には引っ張りだこになります。また、お子さんと散歩に行かれたり、ご自宅で2人きりで過ごされる時間を大切にされているそうです。 欠点は「料理が出来ない事」と以前仰っていましたが、あれから数年の月日が経っているため、かなり改善はされているかもしれません。とにかく、ボートレースの時だけが魅力でないことが、守屋選手をもっと人気レーサーに押し上げていると言えるでしょう。… Continue reading 【美人競艇選手】守屋美穂選手にはどんな魅力や特徴があるのか?徹底解説!
競艇の吉川元浩選手とはどんな選手なのか?特徴なども交えて徹底紹介!
競艇選手の中でもめちゃくちゃな粘り強さを発揮されるのが、吉川元浩選手です。特徴的な経歴をお持ちの吉川選手ですが、どんな魅力があるのか?今回徹底的に調べてきたので、じっくりご紹介していきます。 競艇の吉川元浩選手のプロフィールをご紹介します! 引用元:https://www.sponichi.co.jp/ まずは、吉川元浩選手のプロフィールから見ていきましょう。 生年月日:1972年9月7日 身長:163cm 体重:52kg 血液型:O型 支部:兵庫 出身地:兵庫県 級別:A1級 兵庫県出身のボートレーサーです。身長や体重から見ても、かなり小柄なレーサーであることがわかるでしょう。ボートレーサーの身長の上限が175cm。 平均的な体重が54kgとされているので、規定範囲内の体格です。吉川選手のボート歴には様々な困難がありましたが、今はA1級の級別に分けられる、トップクラスの選手となられています。 吉川元浩選手のご家族は? 吉川元浩選手には、奥様と2人のお子様がいらっしゃいます。お子様は2人とも男の子で、物心がついたころから、お父さんの背中を見て、奥様と一緒に声援を送られていたのだそうです。 家族の為にも負けられない想いが、吉川元浩選手にはあります。 吉川元浩選手にはどんな経歴があるのか? 引用元:https://www.nishinippon.co.jp/ 吉川元浩選手の経歴にはどんな特徴があるのでしょうか?ボートレーサーの中ではかなり特徴的な経歴なので、ご紹介していきます。 ①異例のサラリーマンからの転身 吉川元浩選手はなんと22歳の時までサラリーマンをされていました。通常のボートレーサーは15歳ごろからボートレーサー養成所に入って、競艇のことを学びますが、吉川選手はなんと年齢制限ぎりぎりの22歳です。 どうして急に、ボートレーサーになろうと決められたのかというと、1995年に起こった、阪神淡路大震災がきっかけ。6,000人以上の死者を出した同地震の際には、多くの人が被災をし住むところや職場が無くなってしまったのです。 もちろん、吉川選手も被害を受け、当時働かれていた会社が自身で倒壊。当然、吉川選手も身も心も極限状態まで追い詰められます。その時に、会社の同僚の方から勧められたのが、競艇選手への道です。 その足でボートレーサー養成学校に入学し、10代の若い訓練生に混ざって、競艇選手の資格をゲットされます。しかも、10代の若い訓練生の中に入っても、見劣りすることなく努力と根性で課題をこなし、トップクラスの優秀な成績で学校を卒業されます。 さらに、1996年の尼崎競艇場での吉川選手のデビュー戦。なんと初舞台でいきなりの1着フィニッシュを決められます。 翌1997年には優出まで達成され、ここまではまさに順風満帆の2年間だったと言えるでしょう。 ②10年挑んでもSG優勝が手に入らない しかし、ここから先は途方もない苦難の連続です。2000年に尼崎競艇場で行われた「G1ダイヤモンドカップ競走」でめでたくG1レースの優勝を飾られます。 しかし本来ボートレーサーが目指さなければいけないのは、スーパーグレードと呼ばれる、SGの優勝です。 2001年に浜名湖競艇場で開催されたSG第28回笹川賞競走で、吉川選手は見事優勝戦まで駒を進められます。 しかし優勝戦では惜しくも5着で終わってしまうのです。ここからが、吉川選手にとっては苦難の6年間になります。なんと6年間でSGでは8回の優勝戦出場を果たされますが、1度もSGでの優勝が手に入りません。 あれだけ頑張って、掴んだチャンスなのに、あと一歩のところで優勝に手が届かない。非常に辛い思いをされたことが、容易に想像できます。この時に、吉川選手を支え続けたのが、ご家族の存在です。 奥様とお子様がいるから、吉川選手は歯を食いしばって頑張られます。そして、その想いは2007年に昇華することになるのです。 ③11年頑張って、やっとSG優勝! 吉川選手がSGレースで初優勝されたのは2007年に福岡競艇場で開催された第22回賞金王決定戦。このSGレースで吉川選手は悲願のSG初優勝を達成されます。デビューから11年目のレースです。 しかし、苦難はまだまだ続きます。そこから10年間SGでの優勝には見舞われなかったのです。それでも、苦しかった11年の想いを胸に10年間頑張り続けられます。 ④遅咲きで一気に変化が起こる!4度のSG優勝 SGでの2度目の優勝は2019年、戸田競艇場で開催された第54回総理大臣杯です。10年間頑張った結果が一気に開花し始めます。続いて福岡競艇場にて行われた第46回笹川賞でも優勝を飾り、なんとSG2連覇です。 競艇選手は1度でもSGで優勝することを目指してレースに挑んでいるため、吉川選手はここまでで3度も優勝されています。遅咲きレーサーですが、確実に技術力と熱いハートを持ったレーサーであることは、間違いないでしょう。 そして2020年に行われた第55回総理大臣杯でも優勝され、なんと2年間のうちにSGを3度も制覇される輝かしい実績を残されたのです。まさに、耐え忍んだ花が一気に咲き誇ったような、そんな印象を受けます。 吉川元浩選手の特徴や魅力を徹底紹介! 引用元:https://www.sponichi.co.jp/ 吉川選手には、どんな特徴や魅力があるのか?簡単にまとめてみたので、ご紹介いたします。 ①史上17人目の「全場制覇」を達成している 吉川選手は遅咲きの苦労人ですが、その経験があるためか分かりませんが、なんと史上17人目の「全場制覇」を達成されている選手なのです。安定した強さと、粘り強さ、テクニックが無ければこの偉業は成し遂げられません。 ②どのコースからでも1位を狙える技術力 吉川選手はの凄いところ、魅力は「どの競艇場で、どのコースからでも1位を狙える技術力」にあります。これも、長年の経験に裏打ちされた技術だと言えるでしょう。 特にアウトコースの6コースからのスタートタイミングが、0.11と平均の0.15よりも早いため、6コースからの出走が得意なレーサーだという事がよく分かります。 吉川選手が6コースに入った時には、見逃さないようにしましょう。 ③絶対に諦めないマインド そして、吉川元浩選手、通称「ゲンコー」選手の最大の武器は絶対に諦めないマインドです。常に努力を怠らず、次のレースに備える姿勢は、まさにボートレーサーの鏡となる存在でしょう。 どんなに苦しくても、絶対に諦めない姿勢に、心を打たれるボートファンも多いかもしれません。 まさに11年間辛抱し続けたマインド、その後も10年間勝利から見放された辛さ。ボートレースの苦しみを一番理解している競艇選手と言っても、過言ではないかもしれません。 しかも、ボートを始めた1995年は未曽有の大災害阪神淡路大震災の年です。普通の人が到底考えられないほどの精神力で、この25年間を乗り越えられてきているに違いありません。 だからこそ、多くのボートファンに愛され、応援し続けられるのでしょう。… Continue reading 競艇の吉川元浩選手とはどんな選手なのか?特徴なども交えて徹底紹介!
【競艇選手を徹底解説】毒島誠選手はどんなところが魅力的な選手なのか?
競艇選手には魅力的な選手が沢山います。その中でもニュージェネレーション軍団と呼ばれ、近年目覚ましい成長を続けているのが「毒島誠選手」です。 今回はこの毒島誠選手とはどんな選手なのか?について、詳しく解説していきます。 競艇の毒島誠選手のプロフィールをご紹介! 引用元:https://www.nishinippon.co.jp/ まずは「毒島」という苗字ですが「ぶすじま」と呼びます。あまり聞きなれない苗字になりますが、群馬県地方では割と多い苗字だとされています。では毒島誠選手のプロフィールを簡単に見ていきます。 生年月日:1984年1月8日 身長:162cm 体重:53kg 血液型:B型 支部:群馬 出身地:群馬県 級別:A1級 群馬県出身の毒島誠選手。群馬県の男性は負けず嫌いで熱いハートを持った人が多いと言われていますが、まさに毒島誠選手にピッタリと当てはまるでしょう。 身長は162cmと小柄ながら53kgのウエイトは、身長の割には十分だと言えそうです。この磨き抜かれた肉体が毒島誠選手を無敵の超人に仕立て上げているのかもしれません。 毒島誠選手のご家族は? 毒島誠選手のご家族は奥様と、お子さんが2人です。奥様は元競艇選手の「池田幸美さん」。池田幸美さんは、毒島誠選手より6歳年上で2009年に引退をされています。ご結婚された時期はハッキリと分かっていませんが、2009年前後に結婚されたと言われています。 奥様も1998年から2009年の引退までに、150勝を挙げられている実力のある競艇選手でした。 お子さまの情報はあまりありませんが、この2人から産まれられた限りは、かなり優秀な血筋なのではないでしょうか?今後のお子様の進路にも期待してしまいます。 毒島誠選手を超える逸材になる可能性も非常に高いのかもしれません。 毒島誠選手の過去の経歴などを簡単にご紹介! 引用元:https://www.boatrace.jp/ 毒島誠選手の経歴はどんな感じなのでしょうか?現在分かっていることを具体的にご紹介していきます。 ①やまと競艇学校も安定した勝率 毒島誠選手はやまと競艇学校をご卒業なされて、今競艇選手として活躍しています。やまと競艇学校在籍中には、リーグ戦勝率5.83(準優出2 優出1 優勝1)の成績を残され、その後2003年にプロデビューを果たされます。安定した勝率を維持されています。 ②2003年に桐生競艇場でデビュー 2003年、プロの初舞台の場所は桐生競艇場。初レースは3着となっています。その後、25レース目で初めて勝利を収められ、続けざまにもう1勝を挙げられています。 この辺りのハイペースな勝利から、毒島誠選手の能力値の高さが分かるでしょう。 その後、2005年の多摩川競艇場で開催された第10回ダブル優勝TVKカップで初めての優勝戦に出場されています。 毒島誠選手ほどの実力がありながらも、デビューから2年の時間を擁していてどれだけ競艇選手で成功することが、狭き門なのか?を知ることが出来るでしょう。 ③2010年に浜名湖競艇場でG1初優勝 2008年にはG1レースで初めての優勝戦に出ることが出来、2010年にはいよいよ浜名湖競艇場でG1初優勝を飾られます。 2005年の優出以来、年々着実にレベルアップしていかれ、順調に2010年でG1優勝されている辺りは、さすがの実力です。この辺りの成長の速さが、毒島誠選手の才能を表しているのかもしれません。 ④2013年のSG優勝以来、計6度のSG優勝を果たしている その勢いのまま毒島誠選手は2010年に丸亀競艇場行われたSG第15回オーシャンカップ競走に出場、SG初出場を果たすのです。 SG初出場初優勝とはなりませんでしたが、4度の1着をたたき出し、圧倒的な存在感を見せつけることが出来ました。 その後2013年の若松競艇場で開催されたSG第18回オーシャンカップで、SG初優出。その優勝戦では3着でした。さらにその後の8月、丸亀競艇場で開催されたSG第59回モーターボート記念競走で、念願のSG初優勝を飾られます。 まさに、順風満帆という言葉が相応しいほど、一気に階段を駆け上がられた選手だと言えるでしょう。さらに凄いのが、この優勝から2020年までの間に合計6回のSG優勝を飾られているのです。 以下に優勝レースをまとめてみました。 1回目 2013年9月1日 丸亀 第59回モーターボート記念 2回目 2017年11月26日 下関 第20回チャレンジカップ 3回目 2018年7月16日 若松 第23回オーシャンカップ 4回目 2018年8月28日 丸亀 第64回ボートレースメモリアル 5回目… Continue reading 【競艇選手を徹底解説】毒島誠選手はどんなところが魅力的な選手なのか?